清浄道論 全三巻 発売中!
南アジア諸国に伝わる上座部仏教の最大の綱要書、『清浄道論』(ブッダゴーサ著)初の現代語訳版です。
〈訳者より〉
仏教を敬愛してやまない善男善女の皆様、ここに『清浄道論──ヴィスッディ・マッガ──』の和訳をお届けいたします。拙き訳稿ではありますが、皆様の学びの糧となりますことを、心より祈念する次第です。
まずは訳者の責務として、『ヴィスッディ・マッガ』についての必要最小限の知識を、読者である皆様に提供する必要があるでしょう。もっとも、ここでしがない三文訳者が駄言を弄して、皆様の貴重な学びの時間を浪費するのはヒンシュクを買うだけです。ここは先学の方の御業績に依拠して、わたしたちが学びの糧とするテキスト、『ヴィスッディ・マッガ』の紹介をさせていただきたく思います。
『南伝大蔵経』(大蔵出版)に収録されている『清浄道論』の翻訳者、水野弘元博士は、『ヴィスッディ・マッガ』について、このように書いておられます。
清浄道論は南方上座部の教理を最も詳しく最も手際よく纏めて説いたものであって、南方上座部の教理を知る為には必ず読まれなければならない唯一無二の論書である。即ち本書は南方上座部の論蔵七論を集大成し、七論以後に展開した教理をも之に含め、七論の如く形式的、煩瑣的、無味乾燥的のものでなく、全編すべて議論の充実されて居るものである。
また、『仏典解題事典』(春秋社)のなかで、早島鏡正博士は、以下のように述べておられます。
本書は5世紀の中葉、インドの学僧仏音(ブッダゴーサ)がセイロンの首都アヌラーダプラの大寺(マハーヴィハーラ)において、当時存在していたシンハリーズで書かれた三蔵の諸義疏――たとえば、律の義疏である《サマンタパーサーディカー》《法聚論》の義疏たる《アッタサーリニー》《分別論》の義疏たる《サンモーハヴィノーダニー》《無碍解道》の義疏たる《サダンマパカーシニー》あるいは《発趣論》や《小誦》などの義疏を参照し、《解脱道論(ヴィムッティマッガ)》を底本として、大寺派教学の正統説を祖述する立場からこれを改造増補して作ったものである。全篇23品から成り、戒・定・慧の三学を鋼格とし、戒について第1品の戒の解釈、第2品の頭陀支の解釈の2品、定について第3品業処把取の解釈、第4品地遍の解釈、第5品余遍の解釈、第6品不浄業処の解釈、第7品六随念の解釈、第8品随念業処の解釈、第9品梵住の解釈、第10品無色の解釈、第11品定の解釈、第12品神変の解釈、第13品神通の解釈の11品、慧について第14品蘊の解釈、第15品処・界の解釈、第16品根・諦の解釈、第17品慧地の解釈、第18品見清浄の解釈、第19品度疑清浄の解釈、第20品道非道智見清浄の解釈、第21品行道智見清浄の解釈、第22品智見清浄の解釈、第23品慧習修の功徳の解釈の10品がある。本書の前後に造論の因縁・結語として、戒・定・慧によって清浄への道たる涅槃のさとりに達すべきことをすすめる1偈を示している。論述に使った資料は南方上座部の7論ならびにそれ以後に展開した教理を含め、すべてにこれらを集大成しており、しかもセイロン伝承の史料や因縁談などを交えて阿毘達磨論書のおちいる無味乾燥な形式主義を救っている。したがって、本書は現在においても、南方パーリ仏教における最高権威の論書と仰がれ、その百科全書的内容は上座有部の《大毘婆沙論》に匹敵すると言われる。
引用が長くなり恐縮ですが、上記記述により、『ヴィスッディ・マッガ』について、必要最小限の予備知識が得られたことと思います。水野博士がおっしゃるように、「南方上座部の教理を知る為には必ず読まれなければならない唯一無二の論書」が、『ヴィスッディ・マッガ』であるわけです。
ということで、皆様、広大にして深遠、精緻にして単直、難解の極みとも言われ、明瞭この上ないとも言われる、上座仏教教理の世界へ、何はともあれ、第一歩を踏み出してください。合掌。
〈科段〉
序章 因縁等についての言説
第一章 戒についての釈示
一 「何が、戒であるのか」
二 「どのような義(意味)によって、戒であるのか」
三 「何が、それにとって、特相であり、効用であり、現起であり、境処の拠点であるのか」
四 「何が、戒の福利であるのか」
五 「しかして、この戒は、どれだけの種類があるのか」
(一)一種類のものとしての戒
(二)二種類のものとしての戒
(三)三種類のものとしての戒
(四)四種類のものとしての戒
1 戒条による統御としての戒
2 〔感官の〕機能における統御としての戒
3 生き方の完全なる清浄としての戒
4 日用品に等しく依拠したものとしての戒
5 四つの完全なる清浄の成就の手順
(五)五種類のものとしての戒
六 「しかして、何が、それにとって、汚染であるのか」
七 「何が、浄化であるのか」
第二章 払拭〔行〕の支分についての釈示
1 糞掃衣の者の支分
2 三つの衣料の者の支分
3 〔行乞の〕施食の者の支分
4 〔家々の貧富を選ばず〕歩々淡々と歩む者の支分
5 一坐〔のみの食〕の者の支分
6 鉢に〔盛られた行乞の〕食〔だけを食する〕者の支分
7 〔決められた時間〕以後の食を否とする者の支分
8 林にある者の支分
9 木の根元にある者の支分
10 野外にある者の支分
11 墓場にある者の支分
12 〔坐具が〕広げられたとおり〔の場所〕にある者の支分
13 常坐〔にして不臥〕なる者の支分
第三章 〔心を定める〕行為の拠点を収め取ることについての釈示
一 「何が、〔心の〕統一であるのか」
二 「どのような義(意味)によって、〔心の〕統一であるのか」
三 「何が、それにとって、特相であり、効用であり、現起であり、境処の拠点であるのか」
四 「〔心の〕統一は、どれだけの種類があるのか」
(一)一種類のものとしての〔心の〕統一
(二)二種類のものとしての〔心の〕統一
(三)三種類のものとしての〔心の〕統一
(四)四種類のものとしての〔心の〕統一
(五)五種類のものとしての〔心の〕統一
五 「しかして、何が、それにとって、汚染であるのか」
六 「何が、浄化であるのか」
七 「どのように、修められるべきであるのか」
(一)十の障害
(二)〔心を定める〕行為の拠点を与えてくれる善き朋友
(三)自己の性行に随順するもの
(四)四十の〔心を定める〕行為の拠点
第四章 地の遍満についての釈示
(五)〔心の統一の〕修行に適切ではない精舎と適切な精舎
(六)〔見難き〕小なる障害
(七)修行の規定
1 地の遍満(1)
(一)四つの遍満の汚点
(二)遍満の作り方
(三)作り為された〔遍満〕の修行の方法
(四)二種類の形相
(五)二種類の〔心の〕統一
(六)七種類の適当なるものと不当なるもの
(七)十種類の〔瞑想の境地に〕専注して止まる〔心の統一〕に巧みな智
(八)精進の平等なること
(九)〔瞑想の境地に〕専注して止まる〔心の統一〕の規定
(一)第一の瞑想
(二)第二の瞑想
(三)第三の瞑想
(四)第四の瞑想
(五)五なる瞑想
第五章 残りの遍満についての釈示
2 水の遍満(2)
3 火の遍満(3)
4 風の遍満(4)
5 青の遍満(5)
6 黄の遍満(6)
7 赤の遍満(7)
8 白の遍満(8)
9 光明の遍満(9)
10 限定された虚空の遍満(10)
11 十の遍満についての雑駁なる言説
第六章 浄美ならざるものという〔心を定める〕行為の拠点についての釈示
1 膨張したもの(11)
(一)〔墓場等に〕赴くことについての規定
(二)周囲遍く形相を近しく観ること
(三)十一種類〔の方法〕によって形相を収め取ること
(四)〔墓地等への〕行き帰りの道を注視すること
(五)〔瞑想の境地に〕専注して止まる〔心の統一〕についての規定
2 青黒くなったもの(12)
3 膿み爛れたもの(13)
4 切断されたもの(14)
5 喰い残されたもの(15)
6 散乱したもの(16)
7 打ち殺され散乱したもの(17)
8 血まみれのもの(18)
9 蛆虫まみれのもの(19)
10 骨となったもの(20)
11 十の浄美ならざるものについての雑駁なる言説
第七章 六つの随念についての釈示
1 覚者の随念(21)
(一)阿羅漢
(二)正自覚者
(三)明知と行ないの成就者
(四)善き至達者
(五)世〔の一切〕を知る者
(六)無上なる者
(七)調御されるべき人の馭者たる者
(八)天〔の神々〕と人間たちの教師
(九)覚者
(十)世尊
2 法(教え)の随念(22)
(一)十分に告げ知らされたもの
(二)現に見られるもの
(三)時を要さないもの
(四)来て見るもの
(五)導くもの
(六)識者たちによって各自それぞれに知られるべきもの
3 僧団の随念(23)
4 戒の随念(24)
5 施捨の随念(25)
6 天神たちの随念(26)
7 六つの随念についての雑駁なる言説
第八章 〔他の〕随念たる〔心を定める〕行為の拠点についての釈示
1 死についての気づき(27)
(一)殺戮者の現起〔の観点〕からの死の思念
(二)得達の衰滅〔の観点〕からの死の思念
(三)〔他者を自己と〕対照する〔観点〕からの死の思念
(四)〔他者と自己の〕身体の多くが共通なる〔観点〕からの死の思念
(五)力衰えた寿命〔の観点〕からの死の思念
(六)〔生命の〕無相なる〔観点〕からの死の思念
(七)〔生命に〕時間の限界ある〔観点〕からの死の思念
(八)〔生命の〕瞬間にして微小なる〔観点〕からの死の思念
2 身体の在り方についての気づき(28)
(一)七種の収取に巧みな智
(二)十種の意を為すことに巧みな智
(三)三十二の部位についての詳細の言説
(四)〔瞑想の境地に〕専注して止まる〔心の統一〕の生起
3 呼吸についての気づき(29)
(一・二・三・四)十六の事態のうち第一の四なるもの
(五・六・七・八)十六の事態のうち第二の四なるもの
(九・十・十一・十二)十六の事態のうち第三の四なるもの
(十三・十四・十五・十六)十六の事態のうち第四の四なるもの
4 寂止の随念(30)
第九章 梵住についての釈示
1 慈愛の修行(31)
2 慈悲の修行(32)
3 歓喜の修行(33)
4 放捨の修行(34)
5 〔四つの梵住についての〕雑駁なる言説
第十章 形態なきものについての釈示
1 虚空無辺なる〔認識の〕場所という〔心を定める〕行為の拠点(35)
2 識知無辺なる〔認識の〕場所という〔心を定める〕行為の拠点(36)
3 無所有なる〔認識の〕場所という〔心を定める〕行為の拠点(37)
4 表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所という〔心を定める〕行為の拠点(38)
5 〔四つの形態なきものについての〕雑駁なる言説
第十一章 〔心の〕統一についての釈示
1 食についての嫌悪の表象の修行(39)
2 〔地水火風の〕四つの界域の〔差異の〕定置の修行(40)
八 「何が、〔心の〕統一の修行にとって、福利であるのか」
ヴィスッディ・マッガ(第二部)
第十二章 〔種々なる〕神通の種類についての釈示
1 〔種々なる〕神通の種類
(一)確立の神通
(二)変異〔の神通〕
(三)意によって作られる神通
第十三章 神知についての釈示
2 天耳の界域の知恵
3 〔他者の〕心を探知する知恵
4 過去における居住(過去世)の随念の知恵
5 有情たちの死滅と再生の知恵
6 五つの神知についての雑駁なる言説
第十四章 〔心身を構成する五つの〕範疇についての釈示
一 「何が、智慧であるのか」
二 「どのような義(意味)によって、智慧であるのか」
三 「何が、それにとって、特相であり、効用であり、現起であり、境処の拠点であるのか」
四 「智慧は、どれだけの種類があるのか」
(一)一種類のものとしての智慧
(二)二種類のものとしての智慧
(三)三種類のものとしての智慧
(四)四種類のものとしての智慧
五 「どのように、修められるべきであるのか」
1 形態の範疇
2 識知〔作用〕の範疇
2―1 善なるもの
2―2 善ならざるもの
2―3 〔善悪が〕説き示されないもの
2―3―1 報い〔としての善悪が説き示されない心〕
2―3―2 〔善悪を伴わない純粋〕所作〔としての善悪が説き示されない心〕
3 感受〔作用〕の範疇
4 表象〔作用〕の範疇
5 諸々の形成〔作用〕の範疇
5―1 善なるもの
5―2 善ならざるもの
5―3 〔善悪が〕説き示されないもの
6 感受〔作用〕の範疇の過去等の区分
7 〔心身を構成する五つの〕範疇についての知恵の細別
第十五章 〔認識の〕場所と界域についての釈示
1 諸々の〔認識の〕場所
2 諸々の界域
第十六章 機能と真理についての釈示
1 諸々の機能
2 諸々の真理
(一)苦しみについての釈示
(二)集起についての釈示
(三)苦しみの止滅についての釈示
(四)苦しみの止滅に至る〔実践の〕道についての釈示
第十七章 智慧の境地についての釈示
1 「無明という縁から、諸々の形成〔作用〕が〔発生します〕」
2 「諸々の形成〔作用〕という縁から、識知〔作用〕が〔発生します〕」
3 「識知〔作用〕という縁から、名前と形態が〔発生します〕」
4 「名前と形態という縁から、六つの〔認識の〕場所が〔発生します〕」
5 「六つの〔認識の〕場所という縁から、接触が〔発生します〕」
6 「接触という縁から、感受が〔発生します〕」
7 「感受という縁から、渇愛が〔発生します〕」
8 「渇愛という縁から、執取が〔発生します〕」
9 「執取という縁から、生存が〔発生します〕」
10・11 「生存という縁から、生が〔発生します〕」「生という縁から、老と死と憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤が発生します」
12 縁によって〔物事が〕生起する〔道理〕についての雑駁なる言説
第十八章 見解の清浄についての釈示
第十九章 疑いの超渡の清浄についての釈示
第二十章 道と道ならざるものの知見の清浄についての釈示
1 三つの遍知
2 〔心身を構成する〕五つの範疇の無常を所以にする触知
3 九つの行相
4 形態の触知
5 形態なき〔法〕の触知
6 三つの特相の揚挙
7 十八の大いなる〔あるがままの〕観察
8 生成と衰微の随観の知恵
9 〔あるがままの〕観察に付随する〔心の〕汚れ
10 三つの真理の〔差異の〕定置
第二十一章 〔実践の〕道の知見の清浄についての釈示
1 生成と衰微の随観の知恵
2 滅壊の随観の知恵
3 恐怖の現起の知恵
4 危険の随観の知恵
5 厭離の随観の知恵
6 解き放ちを欲する知恵
7 審慮の随観の知恵
8 諸々の形成〔作用〕の放捨の知恵
9 随順する知恵
10 経の適応
第二十二章 知見の清浄についての釈示
1 〔新たな〕種姓と成る知恵と第一の道の知恵
2 第一の果
3 第二の道の知恵
4 第二の果
5 第三の道の知恵
6 第三の果
7 第四の道の知恵
8 第四の果
第二十三章 智慧の修行の福利についての釈示
六 「何が、智慧の修行にとって、福利であるのか」
1 種々なる〔心の〕汚れを砕破すること
2 聖者の果の味を経験すること
3 止滅の入定に入定することができること
4 〔供物を〕捧げられるべき状態等の実現
結び